私の名前は渡辺春菜。
彼の名前は渡辺春馬。男だ。
小さい頃からいつも一緒で、仲が良くて、それはまるで双子のようだった。
…………そう、双子ではないのだ。
苗字が同じで、名前が似ている。出会ったときは、ただの御近所さん同士の子供。双子みたいねぇ、と親達の会話が弾んで、知らないうちに私と春馬は仲良くなっていた。
あまり仲が良くて、名前が似ていたから、幼い時分は本当は生き別れの双子なんじゃないか、なんてストーリーを頭の中で作っていた。ちなみに、厳密には苗字は違う。私は渡邊と書いて彼の字は渡邉である。だけど幼稚園なんてものは漢字なんか教えてくれないから、当時は本当に同じ苗字だと思っていた。今はもちろん、彼と私に血縁関係など無いことは理解している。
私も春馬も、揃って勉強が得意ではない子だったため、受験という言葉すら知らないまま近場の中学に入学した。
制服というのは嫌なもので、着ているだけで男女の差が明確になってしまう。昔はよく一緒に遊んだのに、なんだか春馬の傍には居づらくなってしまった。だけど。居づらくなった理由は、果たしてそれだけなんだろうか?
「はるなー」
桜の花が散ってしばらく、緑の葉が茂り始めた頃。帰り道で呼び止められた。間の抜けた聞き馴染みのある声は、学ラン姿の春馬だ。中学生になったというのに、なんだか小学校の低学年の子みたいな、やわらかな雰囲気。あれ、なんだかでかい荷物を背負っている。
「春馬、何それ?」
「えへへ聞いて聞いて、剣道部入った!」
「剣道っ?」
彼が運動部、それも剣道部に入るなんて思わなかった。私も春馬も、好きこのんで運動をするような子供じゃなかった。たまにキャッチボールくらいはしたけど、基本的には家の中でゲームに明け暮れていた。それに春馬は昔からぼうっとしているような奴で、剣道なんて向いてない。と思うのは、私の偏見なんだろうか。
「そこはええっなんで? って聞けよ!」
「……ええっなんで?」
あほらしい春馬の突っ込みに、棒読みで返事をする。なんか、中学校に入ってから、春馬は少し変わった気がする。
「だってカッコイイし! 剣士だし!」
昔はそれほどでもなかったのに、けっこうなお調子者になった気がする。他の学校から来た可愛い女の子にはしゃいでるとか、そんなノリなんだろうか。呆れて溜め息をつく私を無視して、春馬は一人騒いでいる。
「俺ね、騎士になるんよ! ナイトって言うの? 騎士道とかマジかっこいいんだけど! ……春菜? 聞いてる?」
「……剣道ってさぁ、騎士じゃなくて武士じゃないの?」
ふっと鼻で笑ってやると、そんなの関係無いし! と彼はまた騒いで、頬にささやかな赤を浮かべて笑った。
家に帰ってから気づいたのだが、その日は久しぶりに彼と一緒に下校したのだった。
春馬とは同じクラスだった。それはいいのだけど、彼はどうしてか私の机に座って、周りに女の子を集めて喋っている。見せつけなんだろうか、それとも私に寄ってくる女子をターゲットにしているのか。どちらにしろ、気分がよくない。周りの女子は、剣道部なんだスゴーイ、だとか言ってはしゃいでいる。
「入部するだけなら誰でも出来るでしょ」
と、冗談めかして言った心算だったのだが、女子達にあまり良くない顔をされた。変な言い方をしただろうか? 春馬が何か言おうとしたけれど、チャイムが鳴って私達の会話を遮った。
彼は、なんだか女の子に甘くなった、というかだらしなくなった気がする。この歳からそんなでどうするんだ、と最初は思っていた筈なのに、なんだかもやもやの理由はそうではない気がした。ええい、私は春馬の母親じゃない、ましてや奥さんじゃない! 頭の中がごちゃごちゃしてきたので、授業に頭を切り替えようとしたけれど、やっぱり上手くいかなかった。
後ろの席で笑っている筈の春馬の声が、どうしてかひどく遠く聞こえた。
「おれの夢はね、王さまになるんだ!」
「どこのくにの?」
「ワタナベおうこくだよ!」
「あは、なにそれ」
「おれが王さまで、はなよめさんのはるなが女王さまね!」
「……え、わたし?」
「ワタナベハルナっ!」
「はいっ! ……?」
「授業中だぞ、何ぼうっとしてる」
目の前にいたのは、小さな春馬ではなく、がたいのいい数学の先生だった。数学って名前がごつくて嫌だったけど、この先生だからごついのかなぁ。ぽか。頭を小突かれた。
「話を聞けー」
「す、すんません」
周りの生徒達がくすくすと笑いだす。どうやら、数学の授業をしていたらしい。そんなことにすら気付かず、私は考え事にふけっていたようだ。
考え事というか、懐かしい風景が自然に思い出されていた。今はマンションになってしまったけど、近くにあった公園で。私と春馬がいて。春馬の言った馬鹿に、私は今と同じように呆れていた。……はなよめ?
昔は、そんなことを軽々しく言えるほど純粋だったのか。
あるいは、単に春馬が馬鹿なのか。
相変わらず私は数学の授業を聞き流していた。
「はーるーなーっ」
昨日と同じシチュエーション。やっぱり間の抜けた声の春馬。振り返ってやると、彼は昨日の荷物を背負ってはいなかった。
「一緒に帰らん?」
どき。心臓が跳ねる。昨日も一緒に帰ったはずなのに。それにしても、幼馴染であるとはいえ女の子をこんな風に誘えるのは、……やっぱり春馬だからなのかなぁ。
「ていうか、帰り道一緒じゃん」
「まぁ、そうだわな」
他愛もないおしゃべり。こんなことならいくらでも出来るのに、本当に聞きたいことはどうしてか聞き出せない。はなよめ。うう、昔話くらいできるだろう、頑張れ私!
「あのさ春馬っ」
「そういやーさ」
私のせっかくの勇気を彼はいとも簡単に遮ってしまった。かと言って私には言葉を繋げる勇気もないので、主導権は再び彼に渡った。
「俺が小さい頃言ってた『夢』って、覚えてる?」
「は?」
私が今まさに聞こうとしていたこと。図星を突かれたわけじゃないけど、心の内を読まれたようでどきりとする。
「……覚えてるけど? ワタナベ王国でしょ」
「そうそうそれ! お前よく覚えてるな!」
覚えているかと聞いてきたのは彼なのに。彼の会話は、いつも文法がおかしい。だけどいつものことだから諦めて、話の続きに耳を傾けることとした。
「あれさぁ、やめるわ」
「…………え?」
やめる? はなよめを? いや、彼にとって大事なのは花嫁ではないだろう。というか、そもそも叶わないような夢だ。あれは夢のうちに入るのだろうか。目標でもゴールでもない。彼にとってそうならそれでいいが、それにしても、彼は子供の時の話をどうして今ここで持ち出したのだろう?
「俺ね、王様やめて騎士になるわ! で、お姫様を守るワケよ。どう、かっこよくない?」
……騎士? 昨日、彼から聞いたような言葉。
「あんたの言う騎士道ってのは、つまりは女の子に優しいっていうあれですか」
「うーん、そうじゃなくて」
ちゅ。
いきなり掴まれた右手に……え? 何これ?
「ナイトの挨拶はこうやってするものだとテレビでやっておりました」
春馬の口調が急に変わる。だけど、言っていることは相変わらずあほだ。じゃなくて、何、ナイト?
「そういうわけでナイトである春馬さんは、お姫様の春菜をかっさらって幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
「……何それ」
彼はまだ、掴んだ私の右手を離していない。それどころか、強く握りなおした。
「そういうわけで中学と共に騎士デビューを果たした俺からの告白なんだけど、どう?」
「…………果たせてない気がするよ」
なんだか恥ずかしくて、でも嬉しくて。自然とこぼれる笑み。彼の手を握り返す。
「じゃあよろしく、お姫様」
するり。彼の言葉が私の心に入り込んできて、私の中の何かを解かしていく。まだ少しだけ冷たかった心を、春の風が駈けていって、小さな花を芽吹かせた。
冬は終わって、私の心にもようやく春が来た。
最後の方で、「春菜」と「春馬」という名前に関した表現と、「冬」を無理矢理押し込んでみました。
無理矢理感が否めない上に、これが彼らの名前と関連しているというのが非常に分かりづらいです。
自分がこの作品を書いたとき、それまでは暗い話ばかり書いていたので、部活の同僚達には
「むらしが……ムラ氏が甘い……!!」と、ある意味では好評でした。
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